天翔楽団と日本における中国音楽事情

天翔楽団団長 中田勝美

 天翔楽団は日本人の中国音楽愛好家によって2003年1月、日本・大阪市で結成された市民楽団である。日本で言う「市民楽団」とは、一般的に仕事や家庭を持っている一般大衆が余暇を使って音楽を楽しむ楽団であり、プロ音楽家は加わらないものである。楽器は自ら購入し、また練習に必要な場所についても自分達で費用を出して借りるなど公的な支援を受けない形で運営されている。日本ではこのような市民楽団があらゆる形で存在する。

天翔楽団は主に日本人で構成された中国音楽集団であり、多くの人に中国音楽・楽器の魅力を楽しんでもらおうと活動している。その構成は二胡、中胡、高胡、揚琴、琵琶、中阮、大阮、柳琴、笙、笛(+嗩吶)、打楽器、チェロで、団員数は現在21名である。また演奏会時には低音部の充実のためコントラバス奏者に加わってもらうことにしている。このような多種の中国楽器をそろえた楽団は日本国内では天翔楽団だけである。

天翔楽団は毎年11月に定期演奏会を開いており、2014年で12回目となる。また福祉施設でのミニコンサートや小・中学校での演奏、さらに初心者を対象にした合奏体験など様々な活動を展開してきた。日本での演奏活動以外に設立当初から海外との交流活動も活発に行ってきた。設立間もない2003年11月に中国・江蘇省太倉市で開かれた太倉江南絲竹中外交流演奏会に招聘され、2007年2月には上海音楽学院の王永徳老師の招待で、上海で開かれた第4届“長三角”民族楽団展演に参加した。この“長三角”民族楽団展演にはマレーシアや台湾からの楽団も参加していたが、日本からの楽団参加は珍しく、大きな歓迎を受けた。

この時に知己を得た台湾の陳紹箕老師(台湾・国家国楽団顧問)には天翔楽団の顧問に就任していただき、その縁で2011年8月の台湾・新竹青年国楽団初来日公演(大阪、京都、岡山)のうち、大阪公演を天翔楽団が主催することとなった。ホールの選択から楽器の貸借り、宣伝活動など全ての準備をこなし、当日500名近くの観客に大編成の民族楽団の素晴らしさを提供することが出来た。

この経験が更に交流の輪を広げた。2012年2月に天翔楽団が訪台し、新竹市演芸庁で新竹市青少年国楽団との合同演奏会を開いた。新竹市では市政府・文化関係部門および青少年楽団員の父母など全市一体となった歓迎を受け、大編成の楽団との共演という音楽的にも貴重な経験をつむことが出来た。更に2013年8月京都市でおこなわれた、台湾苗栗県聯合民族管弦楽団および苗栗県青少年国楽団の初来日公演を共催した。天翔楽団はその演奏会の準備を引き受け、演奏会後半の2曲、「桃花開」と「日本民謡聯奏」を彼らと共に演奏した。このような国際交流活動はすでに天翔楽団の活動の大きな柱となっている。

一方で天翔楽団は国内における中国音楽愛好者との交流も進めている。その一つが、天翔楽団が呼びかけて始まった「中国音楽フェスティバル」である。

西日本の中心である近畿地方(大阪府、京都府、兵庫県、奈良県、和歌山県、滋賀県)には二胡を中心とした中国楽器を学ぶ人が多く存在し、またグループを結成しそれぞれ発表会などをおこなっている。それらの演奏者、グループが一堂に会して交流し、相互に切磋琢磨できる機会を作ろうと呼びかけ、中国音楽フェスティバルを開くことになった。参加基本条件は「中国楽器を使う3人以上の団体・グループ、演奏曲選択は自由、演奏時間は10分以内、曲数は3曲まで」というもので、第1回は2010年4月18日で23団体300名、第2回は2011年4月9日で21団体300名、そして第3回は2013年4月21日で31団体430名の参加があり、大きな成功を収めている。

特に第3回フェスティバルには、マレーシアペナン州から日新国民型中学華楽団が特別参加するなど、国際的な広がりを持ち始めた。フェスティバルでは、楽団や二胡のグループ以外に、フルスを演奏するグループ、中国の伝統演劇の昆劇チーム、絲竹音楽のグループ、古筝教室のチーム、柳琴・中阮という弾撥だけの団体、など多種多様な演奏が披露された。また電子胡琴を用いたり西洋楽器とのコラボなど、民族楽器を普遍化して使おうという試みもあった。演奏曲も中国伝統楽曲に限らず映画音楽や日本の曲、ラテン曲、ジャズと、中国民族楽器の新たな可能性を図らずも日本で追求するような活動にもなった。第4回は2015年に開かれる予定である。

さてそれでは何故このように日本において中国楽器・音楽の演奏が広がっていったのだろうか。天翔楽団の軌跡にも重なるその要因を簡単に探ってみよう。

その1つは、1980年代ころから中国人の演奏家が日本に来て、教室を開いたことである。その中心は二胡教室であった。この時期はまだ中国楽器になじみがなく、中国文化に興味を持つ日本の一部の人に興味を引いていたに過ぎなかった。ただ二胡は中国楽器とはいえ、その音色は日本人には親しみやすいものであった。日本では三味線や尺八など歴史的に民衆になじみの楽器が存在しており、また日本独特の「胡弓」もあった。「胡弓」は三味線の形の楽器を弓で擦るもので、弦は3本(ないし4本)で弓は弦の間に挟まっていない。これらに親しんでいたことから、楽器の大きさが手軽であり、二本の弦で演奏するという簡便さから、二胡が日本人の嗜好に合い徐々に広がっていった。

初期のころは日本滞在ビザの関係もあり、日本人と結婚した演奏家など特殊な事情の演奏家がいたが、1990年代後半から2000年代にかけて中国の音楽大学を卒業した演奏家や、民族楽団に在籍していた音楽家が来日するようになった。それでレベルの高い演奏が聴けるとともに、教室の数も飛躍的に多くなり、また日本人愛好家にとっても教室の選択の幅が広がることから、より親しみを覚えることとなった。

また2003年ころに女子十二楽坊が日本のマスコミで大きく宣伝されたことから、若い人を中心により多くの人が中国楽器に興味を持つきっかけともなった。それに合わせて映画やテレビの音楽として二胡がよく使われるようになり、二胡が特別な民族楽器としてではなく、身近にある楽器のようになじんだという事情もおこった。これらの変遷を経て、日本各地で二胡教室が数多く存在することになった。

2つ目には日本独特の「文化教室」文化というものがある。それは決してプロを目指すものではないが、日常生活に刺激を与え、教養を身につけ、学ぶ喜びを継続していきたいという日本人が通う学びの場である。学ぶ対象は、茶道や華道など日本伝統文化のみならず、音楽や語学、スポーツなどあらゆる分野にまで広がっている。例えばインターネットで大阪府の中国語教室を検索してみれば、「学院」、「倶楽部」、「センター」などの名がついた教室が100近くすぐ見つかる。

そこでの特徴としては学ぶ人々の年齢層が幅広いということである。中国では二胡など民族楽器を学び始めるのは少年時代からと仄聞しているが、日本の文化教室で学ぶのはむしろ大人、それも中高年齢層が多い。二胡教室も同様である。若年層もいるが、50代、60代になって初めて楽器を手にしたという人も多いのである。

そうであるが故に確かに習熟の速度は遅く、音楽的に突出した人材も輩出されにくいが、二胡教室で仲良く楽しむという雰囲気は作り出す。そしてその気分が継続につながり、二胡の普及に役立つこととなった。

第3は歴史的に日本と中国の長い文化交流があったことである。多くの日本人は中国の歴史と文化に親しみを持っており、そのことが二胡を始めとした中国楽器の普及にも繋がった。他国の文化に触れたいという欲求は、例え技術的に上達することが少なくても、その感情を維持するために学習を継続する根拠となるのである。

以上のような経過の中で、二胡など個別楽器の演奏ではなく、より本格的な中国音楽を演奏しようと天翔楽団の活動は始まったのである。ただ現在の日本において中国音楽楽団としての活動をおこなうためには、いくつかの課題も克服しなければならない。

先ず人員の問題である。天翔楽団はアマチュアの楽団であり、団員の中には職場の転勤や家庭の事情で退団する者もいる。楽団員の増減は避け難いものであり、楽団としての楽器の配置や音楽性の継続、演奏水準の維持に多大の努力を払わなければならない。新しい人材の入団勧誘、団員の新たな楽器への挑戦など、さまざまな工夫もおこなっている。また数年まえから、西洋音楽出身ではあるが中国音楽に強い興味を持つ音楽指導者も迎え、日本、中国、西洋のそれぞれが持つ音楽感覚を生かした練習をおこなっている。

経済面での問題もある。楽団活動には定期的に使える練習場と楽器を置くスペースが不可欠であるが、天翔楽団は幸いにも大阪市内に確保できている。しかしこれらを借りるには年間何十万円という費用が必要になる。その他楽器の購入などあるが、これは楽団員の負担であり、楽団では団費を徴収してその費用に充てている。

さらに楽譜の入手という問題がある。日本国内では楽譜はなかなか手に入らず、また天翔楽団が21名という構成で1楽器1人というパートもあるため、大きな民族楽団が使用した楽譜を手に入れても、それをそのまま使えないということもある。その解決のために、前出の王永徳老師、陳紹箕老師を始め作曲家の盧亮輝老師、新竹青年国楽団、苗栗県聯合民族管弦楽団など交流のある個人や団体に楽譜の貸し出しをお願いしている。いずれも心良く提供していただいており、感謝に耐えない。また大編成の楽譜を天翔楽団の楽器編成に合わせて再構成する作業も、楽団員全体の音楽経験と知恵を集めておこなっている。

以上のような問題はありつつも、天翔楽団は創立以来、中国音楽の普及に着実に地歩を固めてきた。天翔楽団は日本で日本人が中国楽器を使うという独特の楽団である。従って中国や台湾あるいは香港などの民族楽団の演奏をそのまま真似るのではなく、日本人の感情やリズム感を生かした独自の天翔音楽を追求し、活動の場を広げたいと考えている。

2014年も11月に第12回定期演奏会を開く予定である。その定演には上記の盧亮輝老師作曲の「春」、そして「龍騰虎躍」、「赶街」、など音楽関係者には馴染みのある曲に挑戦しようとしている。願わくばあらゆる中国音楽関係者に聴いていただき批評を得たいものと考えている。厳しい批評があればこそ天翔楽団の今後の発展に繋がり、そして新たな交流も始まると信じているからである。

「中国民楽」8月号表紙
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同号掲載中国文(翻訳:陣一慧光)
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