私の両親の家は住吉大社の南、徒歩15分ぐらいのところにあり、私にとって神社と言えば、住吉大社だ。でも”住吉大社”なんて言ったことなく、ご近所さんを呼ぶように、“すみよっさん”が通称だ。そういえば、長年住んでいた関東では、靖国神社、日枝神社、根津神社等、神社をそんなに気安く呼ぶ人はいなかった。

しかし、関西では、お伊勢さん、天満の天神さん、八坂さん、生田さん・・・と近所のお友達のように親しみを込めてさんづけで呼ぶのは面白い。

久しぶりで両親のお墓参りの帰りに行ってみると、境内を歩きながらとても懐かしく、小さかった時の思い出が色々よみがえってきた。

 

夏祭りと言えば、住吉(すみよ)っさん。31日は宵宮で境内にはすでにたくさんの出店が

並んでいて、ヨーヨー釣りや金魚すくい、食べ物屋さんなどだけではなく、お化け屋敷や見世物小屋もあった。それは、首がひょろひょろと伸びる、“ろくろ首”の女性が出てきたり、口から火を噴くお兄さんなど、今では考えられない子供だましの見世物、ショー?なんかもあって、どこもとても盛況だった。境内が広いだけに、様々な屋台や子供が喜びそうな物を売る出店がいっぱいで、それは賑やかだった。

お祭本番は8月1日で、住吉大社から、堺と大阪の境界を流れる大和川を渡り、御旅所である堺の宿院頓宮まで神輿を担いで紀州街道を巡幸するお渡り(神輿渡御)がある。我が家の近くには紀州街道が通っていて、もうすぐ神輿が来るとわかると、見に行ったものだ。

お神輿だけでなく、真っ白な神馬も、住吉踊りの踊り子や、提灯を持った人や、色々な装束をした人たちの長い行列が行く。町中がお祭り一色になる。因みに住吉踊りというのは、直径の大きな傘を支え持つ音頭取りの歌と拍子に合わせて、その周りを白い装束に菅笠をかぶった少女たちが、「すみよ~しさまの、いやほい!」と掛け声をかけ団扇を打ちながら、「心」の字を描くように飛び跳ねて踊るというものだ。

 

冬はお正月だ。大晦日の夜、紅白歌合戦が終わると、初詣に行く。12時を過ぎているというのに、太鼓橋の上は、橋の幅いっぱいの人が少しずつしか動けないほどの人混みだ。当時は振袖を着た女性も多く、華やかなお正月の雰気は現在以上だ。

 

3年前関西に引っ越してくるまで、埼玉に住んでいたが、そこの氏神様に初詣に行った時、あまりにも小さい神社なので、びっくりした。境内に入っていく手前の道は両側に住宅が立ち並ぶ幅2mほどの道だが、神社の境内からはみ出た、お参りを並ぶ人の行列ができているのだ。このあたりに住んでいる人たちは毎年さぞ迷惑だろうなと思った。境内はテニスコート1面の広さもなかったように思う。私にとっては神社と言えば、住吉っさんなので、こんなコンパクトな神社があるのかとそれはそれは驚いた。

 

住吉大社は海の神様が祀られていて、第一本宮/第二/第三/第四本宮 まであり、奥の方には商売繁盛、家内安全の神様、初辰(はったつ)さんがある。

毎月辰の日には今でも市がたって出店がでる。いわゆる、おばあさん御用達の青空市のようなものだ。

 

敷地の南側には広い御田(おんだ=田んぼ)があり、6月には御田植神事が行われ、中央の舞台では、舞や住吉踊りもあり、とても賑やかだそうだ。また、境内の中には、「五所御前」というパワースポットもあり、石の柱で囲われた中に敷かれた砂利の中から、五、大、力、と書かれてある小石を探し、それをお守りにして持つと、願いが叶うと言われている。

 

 

 

私も病気になった友人の回復を願って、石を探した。

外国人ツアーの人たちもたくさんいて、ガイドさんに説明されながら観光していた。

機会があれば、生田さんより広い、住吉っさんもお参りしてみてはいかがでしょうか。

 

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