今日は友人の誘いで、香雲琴社という雅な集いに訪れた。庭門を一歩踏み入れると、外の喧騒は遮断されたようで、心も自然と落ち着いていった。
琴社の名前、「香雲」は実に美しい。友人が教えてくれたところでは、この二文字は唐代の詩仙、李白の『寻山僧不遇作(山僧を尋ねるも遇わず作)』の中の一節「香雲徧山起 花雨从天来(香雲偏く山に起り、花雨天から従う)」から取られているという。詩が描く山間の雲霧は、まるで香りを帯びているかのようで、空から降り注ぐ花の雨と共に訪れる。ただ名前を口にするだけで、この世俗を超越した清らかな気配が嗅げるようで、今日この場所の雰囲気に見事に調和している。

茶室に座り、清らかなお茶を味わいながら、かすかに聞こえる古琴の音に耳を傾けた。友人が今日の主役——古琴について紹介してくれた。なんと三千年以上の歴史を持ち、中国では「文人四友(琴棋書画)」の筆頭とされ、孔子や白居易など先人たちも愛でたものだという。我々が日常で目にする日本の箏とは違い、移動できる「柱」はなく、演奏時にも爪を使わず、指先で直接弦に触れる。13個の「徽」のポイントを、左手で弦を押さえ、右手ではじいて奏でる。その音色は静かで悠遠であり、2003年にユネスコの無形文化遺産に登録されたのも納得だ。そう考えていると、友人が演奏を始めた。琴の音は最初は激しいものではなく、一滴の墨が清水に落ち、ゆっくりと広がり、空間全体を浸していくようだった。その音は、時に「石径丹壑に入る」が如く幽深で静謐であり、時に「閑階鳥跡有り」が如く軽やかで空靈である。目を閉じると、李白の詩の中の雲霧に包まれた山谷が見え、千年の時を超えて響く余韻が聞こえてくるようだった。

一曲が終わり、余韻が嫋々と立ち上り、茶杯の中の茶香と共に立ち込めて離れない。この瞬間、私は「了然绝世事 此地方悠哉 (世事を了然として絶つ、此の地方ぞ悠哉)」という境地がほんの少し理解できたような気がした。詩を名とし、歴史を魂とするこのような場所で、心を通わせる好友と午後のひと時を過ごせたことは、忙しい都市生活では得難い贅沢だった。まさに心を洗われるような体験であった。


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