第19回定期演奏会後より入団させて頂き、毎月2回、大阪まで上京しておりますが、本当に大阪は大都会で、人の多さ、車の量、電車の本数の多さには毎回驚愕しております(汗)。上京時は、駅の売店に立ち寄ることが多く、そこで目にすることが多いのが、「赤福餅」です。

三重県には古くから続く伝統的な銘菓が数多くあり、赤福餅で有名な伊勢市をはじめ県内各地に点在しています。一節によると遠く離れた地から伊勢の国に訪れる旅人をもてなすために、腹持ちの良い餅を振る舞っていたからだそうです。

私が居住している亀山市にも、そんな旅人を支えた、東海道五十三次の47番目の宿場町、「関宿(せきじゅく)」として栄えた町です。毎年7月下旬には、江戸時代の元禄(1688~1704)年間から続いているといわれる「関宿祇園夏祭り」が開催され、昼に1台、夜に4台の豪華絢爛な山車が町内を練り歩くというもの。その際に使用される山車がとても立派なものであったため、『関町のヤマ』以上に豪華で贅沢な山車は作れない」といわれるようになり、これ以上はできない精いっぱいという状態が「関の山」と表現されるようになったそうです。一生懸命やっても、そこまでが限界。そんな意味を持つ「関の山」。ディスられている気がして、ちょっと苦手な言葉でしたが、語源は最上級の褒め言葉だったようですね。

 

この関宿では今でも伝統的な街並みが残り、「赤福餅」と対をなす銘菓「関の戸」があります。江戸時代の寛永年間より作り続けている銘菓「関の戸」は、「関」の地から、三重県と滋賀県との県境に連なる鈴鹿山脈に降り積もる白雪を見た光景を表しているそう。今でも、7代目が書き残したという古い菓子帖の製法を継承し続け、北海道産の小豆を炊いたこし餡を、毎朝炊き上げる求肥餅で包み、徳島産の阿波和三盆をまぶしています。

2019年に、店に保存されていた古文書から、服部家は、実は伊賀流忍者の末裔として、忍びとしての任務を託されていたこと、それを隠すために和菓子屋を営んでいたことなどがわかったそうです。

「関の戸」という言葉自体も、或いは、古代にはこの地に関所があり、その関所の扉を指したのではないかと伝えられるなど、歴史のロマンを感じさせるお菓子です。三重県にお越しの際には、是非「赤福餅」とご一緒に如何でしょうか。