2日目 11月9日(日)(I・Y手記) さあ,とうとう本番当日になりました。
バイキング形式の早い朝ご飯を食べたあとは午後までフリーです。 余裕のない私らは,とにかく集まって練習することにしました。 幸い,1階の端っこに部屋の多くが固まっていたので, そのうちの1室(揚琴部屋)が臨時の練習会場になりました。 ところで揚琴は現地で借りることになっていたのですが, とどいた揚琴はぼろぼろの箱に入っていました。 上海音楽学院付属の中学校かどこかから借りてきたモノらしいです。 さて,めいめいがベッドや椅子に陣取って「最後の追い込み練習」です。 この期に及んで,まだテンポの変化がうまくキまらず, 何度も何度もやりなおしました。 このような緊迫した状況下でも,ベッドの上で弾くと,スプリングの助けで 「○先生風縦揺れ」がやりやすいことを発見し, まねをして遊んだりしてました。 思えば,お世話係の方からプログラムを渡されたのはいつのことだったでしょうか? 「みなさんにどうぞ」と渡されたそれは,差し込み式のしゃれた作りで, けっこうお金かけてんな,なんて思いました。
で,中を見てあっぜーん。 演奏順序 ↑ここをクリックすると各団体の紹介文がでます。ただし中国語ですが・・・たぶんサイズ大ですが・・・天昇の「昇」,繁体字だとこのままでいいのに, わざわざ簡体字の「升」に直されてますが・・・一部の方のお名前が間違ってますが・・・ 1.太倉市文化館恒通民族楽団 2.杭州市余杭区江南絲竹演奏団 3.太倉市■(王+黄)小学民族楽団 4.マレーシア大馬華楽団 5.南京韵天楽社 6.シンガポール華楽協会江南絲竹楽隊 7.上海普陀区長征鎮国楽社 8.日本天昇楽団 なんと,天昇楽団がトリだったのです。その前は笛王・陸師を擁する上海軍団・・・ 「なんでやねん!!」 みな,ぼうぜんとしたのでした。 このホテルでの「部屋練」のときは,この事実をもうみんな知ってたんちゃうかな?
さて,お昼のちにいちど中心劇場でリハーサルです。バスでスグのところでした。
女の子ばかりの集団のなかで,なぜか二人だけ男の子がいたので気になってたんですけどね。 演奏風景をみてやっと納得。ふたりとも管楽器(笛と笙)だったんです。 揚琴の子の合図の仕方が「おぼつかなげ」でなかなか可愛かったが,演奏はすごかった。 また,打楽器をやや小さい子が呆然とやっていたのも印象的でした。
リハーサルはなんか運動会の練習をほうふつとさせるものでした。 並び方,お辞儀の仕方,譜面台の数の確認(だれがどれを減らしどこから持ってくるということまで) など,その指示は微に入り細に穿ち,こんな調子で間に合うんかいな,という感じでした。 しかも指示係の人が,マイクを最大のボリュームにして,なおかつ怒鳴るようにしゃべるので, スピーカーの近くに座ってた私たちの耳がじんじんしはじめ, 数人は耐えられずに後ろの席にまわりました。 このときが各団体の演奏をゆっくり聴くチャンスで,みなさん「○○がよかったね」「○○もなかなか」 「わたしは○○が好きやわ」などという会話を交わしてはりましたが,私は自分では意識してないのに,けっこう緊張していたのか, あんまし印象にのこりませんでした。すごく残念です。 (内部連絡:もしよかったら,団員のみなさんから印象にのこった楽団やその感想などを寄せて頂いたらウレシイです。) リハーサルはひっちゃかめっちゃかにみえながらも演奏順に進んでいき, うちらも出番が近づくと舞台横に集合しました。 どっかの団体がすでにこの時点で着替えてはって,なかなか気合いが入ってるようです。 リハの様子はあんまり覚えていませんが,リハが終わった後,うちらの絲竹演奏が 絲竹通のディープなおっさんたちの「教育欲」をいちじるしく刺激したらしく, わらわらと寄ってきて,「あれはこう弾くんや」とか「こないすんねん」とか口々に「指導」を はじめたそうです。 あ〜,わたしも聞いておけばよかったな。なんかずっと控え室にこもりっぱなしで。 また,あとで聞くところによると,マレーシアの楽団は「倍大提琴」という楽器が本国から届かず, 当日のリハで,急きょ曲目を変更したということです。すごい!
さて,本番も近くになって舞台裏に集合しました。 私たちの前は強者揃いの上海隊。裏からみてもその演奏は言い難い迫力がありました。 舞台中央に立って,まるで軽やかに舞うように上下する陸師の笛。私の目はそれに釘付けになり, 舞台裏の出演者・スタッフは幕裏でおのおの伸び上がって舞台上を注視し, 観客はまるで吸い込まれるように聞き入っています。 そして演奏が終わるやいなや,「喝彩」(日本語では喝采)の嵐が巻き起こりました。 割れんばかりの拍手と,飛び交う「好〜ッ!」「好〜ッ!」の声・・・。 どうみてもこれがトリ,もう拍手喝采でフィナーレ!っつー雰囲気やん? このあとでよろよろ出て行くのってなんか間が抜けてるやん? 少なくとも私個人はもうやぶれかぶれの気持ちで舞台中央へと向かいました。 椅子に座ると,ヨコから照りつけるスポットライトが焼けるように熱い。
そう大きい会場でもないのですが,それでも開演後はまばらだった座席が このときにはほぼ満席になっていました。 陸師の演奏の興奮がさめやらないためか,最後にでてきた日本人の団体が いぶかしげに映ったのか,それとももともと静かにするのが苦手な中国の方のタチなのか, 会場はいつまでもざわついたままで,そのまま《茉莉花》が始まりました。 途中で転調して「河北茉莉花」になったとき,会場がいっしゅんざわっとしました。 これって「邪道だ」という抗議? なんかそう思うと,ますます気が萎えました。 しかし,あとできくと,あれが良かったね,という中国人もいたそうですが・・・
次は《紫竹調》。 「まあしゃーないか,どうせ日本人の絲竹や」そう思いながら演奏をつづけるも,ソロにさしかかると, さすがにいままで聞いていた中国人の軽快かつ連綿とした絲竹らしい音色は感じられず,我ながらすごく鈍重な二胡やな,と思いました。 こんなふうに自己批判的な考えが兆しはじめると,あとは自動的にマイナス思考のスパイラルに陥り, 演奏がわやくちゃになるのが経験上分かってます。 このままじゃマジでやばいな,と思ったので,目線をふと遠くに移しました。 観客席の一人一人の顔が見えてきました。 なに考えて聞いてはるんやろ。まあたぶん「ヘタや」とか「なんでここがトリなんや」とか思うてるやろうな。 でも「どうせ日本人の絲竹」だしな・・・。 そう思いながら,ゆっくりと会場を見渡していくと,アガリ症の私なのに, なぜかふしぎと緊張が消えていくのを感じました。それは,まさに初めての経験でした。
演奏終わり。まあそれなりに拍手が来ました。 よかったよかった。 いろいろあったけど,これで「能事終われり」やね。 〜 * 〜 * 〜 * 〜 * 〜 * 〜 * 〜 * 〜 * 〜 後日談ですが,紫竹調のほうは,うちらの演奏がテンポが遅すぎると言われたらしい。 まあ,このくらいのバージョンもあるので,そのへんは今後,いろいろなものを 聞き比べて研究してみようと思います。 〜 * 〜 * 〜 * 〜 * 〜 * 〜 * 〜 * 〜 * 〜 このあとは「記念杯」(黄金のおちょこかなんかとおもったらトロフィーだった)の 贈呈式があり,団長が舞台上にひっぱりだされていきました。
さ,あとは団長にまかせてもう着替えようか,と思ってたら,係の人に「あなたたち2〜3人で 舞台にでて××して」と言われました。この××がどうしても分からないのです。 とりあえず,団員さんに声をかけました。「すいません,とりあえず2〜3人来てもらえますか?」 「何で?」「なんかわからないんですけど」 そういう会話をしながら舞台袖でまだまごまごしてると,「はやく××して」「いいからはやくはやく!」と せかされ,なんか分からないうちに舞台上に押し出されました。 まわりの人のまねをして,「アルカイックスマイル」をはりつけて手拍子をしてると, 他のメンバーたちもなんかところてんのようにつぎつぎと舞台に押し出されてこっちにやってきました。 下の写真のはしっこに,所在なげな私たちが映っています。
あとはもう写真ラッシュです!
この時点でもう10時をまわっていたでしょうか?それでも日程表を見ると, そのあと「夜食会」の予定がはいってるのです。 これが打ち上げパーティみたいなやつやったらどないしよう,と思っていたのですが, おとなしくおやつを食べるだけでよかったので,ほっとしました。
ほんま,長い1日やったわ。 |